透明草子

百鬼夜行からはぐれてしまったので、仕方なく人間に擬態している

短文

窓の外に手を伸ばしたときに触れる、雨雫の分子と手の皮膚の細胞。

もしもこの二つを作る原子うちのひとつとひとつが、宇宙のどこかで恒星が爆発した時に一緒に生まれた原子だとしたら運命的な再開だと思う。

そしてまたつたい落ちて離れていく。

 

誰かの傘をさしていく罪、子供の指を折る罪、紫陽花の色を滲ませる罪、轢かれたミミズのために祈る罪、生まれてきた罪。

好きなものについて(加筆中)

好きなものについて

そのうち個別により詳しい感想を書きたい

 

①小説

透明感があり孤独感や喪失感を滲ませる小説が一番好き

 

▶︎インディアナインディアナ(レナード・ハント)

砂が溢れるように掌から時間や温もりが溢れていく感覚。凍った記憶の数々が少しずつ開いてひととき幻覚を映して消えていくような文章。温かみや悲しみではなく、それらが過ぎ去った後に残る喪失感を感じる小説だった。もしもこうして全てが去っていくことを「時は全てを癒す」と表現するなら、それは残酷なことだと思う。

 

▶︎百年の孤独(ガルシア・マルケス)

人生は孤独な闘争なのだと教えてくれた小説。ある家系に生まれた人間達の人生が淡々と語られる。登場人物個人に共感するのではなく、ある程度本を読み進めて、時間の流れとその中の出来事を俯瞰する事で全てを覆う孤独に気付かされる。そして登場人物だけではなくて、私たちの世界の全ては孤独なのだと。

この表現方法はガルシア・マルケスにしかできないだろうと思っていたけれど、この本のオマージュしている「神の民」はこの本の孤独を継承しながらもメタSFのような作りで良い小説だった。

 

▶︎ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻

自分が残した日常に自分の形の不在があるのを確認しようとする人の話と、ある日不条理にいなくなった人の不在を抱えて生活する人の話。人同士の繋がり、その中での立場、ある程度狭められた運命、そんなものたちで規定される自分。不意にドアを開けて暮らしによって規定された「自分」から脱却したらどうなるのだろうという疑問。しかし一人になったとき人は何者にもなれないのだと思う。

 

▶︎それから(夏目漱石)

夏目漱石の小説に出てくる主人公は大抵、頭は良いものの親の仕送りや財産で生活する甲斐性無しで恋にも奥手でウジウジしている。そして友人に想い人をとられる。そんな夏目的主人公を何人も見てきたからこそ彼の決断に心を動かされた。「僕の存在にはあなたが必要だ」という言葉も好き。

百合の花の描写が心理描写として功名に作用している。

元々夏目漱石は大好きだったが、昔通っていたピアノ教室の美しくて素っ気ない感じの先生がこの小説を好んでいるのを知ってから更に好きになった経緯がある。

 

▶︎酒虫(芥川龍之介

酒豪の男に憑いている酒虫を取り除いたところ、男は確かに酒を飲まなくなったが衰弱し死んでしまった、という話だ。酒虫は彼の魂そのものだったのだろうか。「お酒は程々に」という一般認識に対して皮肉っぽくもみえるが、私の「私」はどこにある?と考えさせられる。

私には飲酒のように身体的健康に触る趣味はないが、いつも希死念慮を含む悲観的な感情を抱えている。これはずっと幼い頃から私と共にあり、私の人格と分離不可能なんじゃないかと思う。もしこれを心の病として治療されてしまったらそこに残るのはきっと私ではない。「私」はきっと死んでしまう。皆、どこか自分と切り離せない異常さを抱えているのではないだろうか。

芥川特有の語り口の怪異譚としても不思議で面白い

 

 

▶︎歌うくじら(村上龍)

グレゴリオ聖歌を歌うくじら、という象徴が素敵だった。本当は存在しない、そこが良い。物語進行自体はRPGのようだった。(自分以外にもブログでこのような事を書かれている人を見た事がある)最終目的のために、イベントを遂行してマップ移動し、旅をする。途中で仲間が増えるが順に別れが訪れ、最後にはひとりきり。旅の終末地点で語られる社会の歴史がなかなか生々しく、RPG気分から一気に現実的な危機感情に落とされた。

最終シーンの主人公の生への願望は痛切で、私は微塵も信仰心を持ち合わせていない人間だけど、このときだけは主人公とともに祈った。

 

 

②音楽

現実でない別の世界の景色を見せる音楽が好き。

アイリッシュ風のインスト曲やゲームbgmをよく聴くのだが、今回は歌詞について言及したいので歌詞付きの曲をメインで出してるバンドについて書く。

 

▶︎zabadak

遠い景色の中で起こる色鮮やかで美しい現象を映し出す音楽。その全てが普段は心底眠っている感受性を呼び起こす。zabadakは私にとってミューズだと思う。

 

特に好きなのは

・ガラスの森

のれんわけのライブ映像版が好き。音楽に入ってる音と会場の虫の音が森の世界観を作り出していて没入感がある。歌詞を安易に訳せば、ガラスの森に入って帰ってこない息子を母親が悲しんでいる、という感じだろうか。私たちはこの息子であり母親なのだと思う。何かに呼ばれて、二度と戻れない領域に足を踏み入れる。その一方で時間よりも記憶よりも宇宙よりも遠いところからずっと、哀しみを見ている。僕たちはやがて狂っていく…

例えば森に入る事が、幼年期に背を向けて大人になることを示していても、死の世界に行ってしまうことを示していてもいい。ただそれは取り返しのつかない喪失。そうして時が流れていく世界の全ては哀しいのだ。

 

・銀のしらせ

爽やかで澄んだ喪失感のある曲だ。

 

「輝く水の中で君といた 時計の形をした月が浮かんでいた 海が歌をとめてしまうまでふたりは銀色の魚のふりをした」と、幻想的な海のイメージに重ねて、いつか終わりのくる時間の中で、二人が無邪気に過ごしている過ごしている様子が思い浮かぶ。そして次に、歌詞では「最後の夢の後で目覚めて君はいない かわいた砂のように僕が残る」と水(大切なもの)を失った砂の大地(こころ)を想像させる。「なくした波の色が空をぬらす」私はこのフレーズに流れる涙を連想した。しかし旋律はずっと寄せては返す波のように進んでいく(音楽素人なのでこういう進行をなんというのか分からない)。このギャップが過去を思い返し続ける感覚や、「夜明けに会いにくる」「夜明けに雨がくる」と再び水が満ちる期待のようなものを抱かせるのではないだろうか。

完全に個人的な妄想だが、私は一時期この曲に吉良さんと上野さんの決別を投影していた。「水」を光る二人の音楽的な才能に、「君がいなくなる前の夢」を音楽家としての活躍の願いに、二人が地図に見つけた船をそれぞれの目指す音楽性の指針に重ねてしまった。

しかし今は吉良さんの喪失を投影している。一ファンがこんな事を思うのはおこがましいのだが、吉良さんを失った世界が乾いた砂の大地のように感じられ、待てど雨はまだこない。

 

▶︎原マスミ

狂気の向こう側に、美しい星空や絵画的な色合いが垣間見えて面白い。夢の中特有の無秩序感がある。そして音がかっこいい。

 

▶︎ナカノは4番

ボカロのPさん

朝日の光とか雨の雫の中に反射した誰かの傘の色とか、落ちてくる星屑とか小指に滲んだ気持ちの結晶をキラキラ集めてるみたいな曲を作られる。曲の長さも歌詞も短い曲が多い印象があるけど、その中に瞬間瞬間変わっていく風景(ex.夜に咲くように街路灯が灯る、ひととき朝焼けに染まる空)や繊細な気持ちの情報が短い中に詰まっているように思う。でも軽やかで聞きやすい。

例えばremの冒頭の歌詞

「落ちる空は青く  錆び付いた夜を飛ばして回る」

錆び付いた夜、という言葉からどこか胸の内が晴れないような気持ちを連想する。変化がなくどこか物足りない日常を錆び付いたと言ってるのかもしれない。

そしてまた私は錆という言葉から、草木と木造家屋に囲まれた田舎暮らしや洗練された高層ビルの集まる六本木のような場所の生活の可能性も除外し、「平均的な生活」を想像する。

「落ちる空は青く、錆び付いた夜を〜」

「落ちる空は、青く錆び付いた夜を〜」

この歌詞の文章がどちらで切れるのかよく分からないのだけど、前者なら心情と裏腹にさわやかな青空が夜を押しのけていく様子を、後者なら錆びてくすんだ色の夜(心情のように)を、空が押しのけて日が流れていく景色が思い浮かぶ。

こんな風に短いフレーズから想像出来ることが多いこと。たまに言葉遊び的なものが含まれていること。ぽつぽつ雨の雫を落とすように、一見、普通の話し言葉では連結されない言葉を並べて、それでも淡い感情が伝わってくるところ。雨や、滲む灯り、光を反射する氷など…のを音で表現するのがうまいところも素敵です。

 

③絵画

絵画は窓、他の世界、歴史の中の誰か二人だけの時間、夢の中、画家の心。

時に見ている絵の中に吸い込まれたり、画家の信念に心動かされたり、遊び心に憧れたりする。

 

▶︎魅力を語り尽くされているであろう、ダヴィンチ、ラファエロフェルメール、モネ、ゴッホのレビューは後に回す

 

▶︎ポール・デルヴォー

遺跡や駅のような場所に無数の虚ろな女性(同一人物ではないかと思う)が佇んでいる絵が多い。どこまでも静謐で、生命のない印象を受ける。

もしもジョルジョ・デ・キリコが人々の心に共通してある景色を描いているのだとしたら、ポール・デルヴォーは(おそらく)自閉的な彼個人の心の中に映っている影を描いているように見える。彼が、実在する他人を、彼の価値観で解釈して心の中に再構築した他人像ではなく、いなくなってしまった誰かの不完全な残像をスクリーンのように映している。キリコの絵を見ると、知らない景色のはずがどこか既視感を抱き不思議な感覚に陥るのだが、デルヴォーの絵を見ると、ここは確実にどこにも存在しない場所だと感じる。彼の絵画は存在しない場所に繋がる窓のように見えて不思議だ。

 

 

▶︎ポールドラローシュ

▶︎ヒエロニムス・ボス

 

 

 

 

 

 

夜食あるいは朝食

5/31早朝

 

サイケな街にいつか打ち込んだ無数の弾丸の薬莢が、雨に打たれてしおれている。

サイケな街は回り続ける。霧の向こうの島でネオンの躁鬱が躍っている。

UFOの形のラブホテルは、人間のエネルギーを吸い取って宇宙に戻っていくらしい。

隠されたアポロ18号なんだよ。計画を隠すなら冷蔵庫の中がぴったりだ。

 

戦争は終わらない。戦争は終わらない。

掃除当番を押し付けて来ようとする女子や英語の再試に一喜一憂しながら過ごした生活はブラウン管テレビの中に誰かが残した忘れ物だ。

学生だった時、自分は散弾銃を抱えていた。

 

夜明けとともにオリオン座が落ちてきて街を押しつぶすだろう。

一つ目の月の反対側で、薄情な二つ目の三日月が嘲笑っていた。

天球図の向こうの暗闇で、年を取った誰かが泣いている。

球体の内側に浮かぶ上海では人を待ち続ける女性が乳白色の涙を流している。

 

道行く車からDaytonのcutie pieが流れたら、それはもう今日のエンディングの時間だ。

良い子も悪い子も幻視も寝具へと帰っていく。

 

薄青に白んでいく窓のふちから金色の陽が零れだす。

凡庸な生活にあっても朝は美しい。

 

三分ご飯を温めてバターと醤油かつお節を少々加えると夜食あるいは朝食が完成する。

 

自分が目を閉じている間、世界は消えているんじゃないかと思う。

目を閉じて、開いて、閉じて、開いて。

自室の天井と、壁にかかった魚類図鑑のポスターを眺めている。

 

昨日は何をしていたっけ

迫りくる氷の塊を避けながら、深海へと潜っていった。そういうゲームをしていた。

水の中では酸素の残量が寿命そのもの。計量できる命。

 

 

院試の勉強をしないといけない。リミットは近い。

できない。頭がぼんやりする。本を開くと耐えがたい不安が襲ってきて、逃げるようにスマホをいじってしまう。

頭が悪いんだ。おまけにクズで怠惰だ。世界の全てから「お前のような奴が来ていいほど甘くない」と拒絶されている。正論だと思う。どこにもいけない。

私は井.戸型ポテ.ンシ.ャルのなかに落ちていく。

もうどうにもならない所から表象の重ね合わせのようなぼんやりした現実を見ている。

 

ここは深海、私の酸素はあとどれくらい残っているのだろう。

ゲームのラストでは、深海で待つ巨大生物と酸素を奪いあって戦うことになる。

そして巨大生物に酸素を奪われ尽くすと、その生物に吸収されて深海生物へと生まれ変わる。

そのときの巨大生物の手つき酷く優しい。母性を感じられるほどに。この巨大生物は子宮を表している。人間は再びそれを通って還る。陸を支配した人としての姿を失い、深海に適応した姿へと。

 

私は院試の勉強をしないといけないのに。私は院試の勉強を。怖くて怖くて仕方ない。惰性で3年間過ごしてきた罰を受けるのが。でも3年間楽しく遊んで過ごしてた訳じゃない。ずっと辛くて苦しくて疲れていた。どうしてこんなに容量が悪いんだろう。全てが少しずつ私の酸素を奪っていく。理不尽に酷い目にあった訳じゃない、ぬるく甘やかされた環境にいたはずなのに。私が怠惰に鉄棒と縄を買って首を吊ろうとしている間にも、周りは勉強してバイトをしてインターンに行って努力を積み重ねていた。お前は一体何をしていたのか聞かれるのが怖くて仕方ない。何もしていなかったから。死にたいと思うことすら面倒で億劫で何もできない。父と母に酸素を与えられ延命されている。首を吊れば簡単に楽に死ねるというのは勘違いだ。失敗例はそこかしこに散らばっている。脳に損傷を受ければ後遺症が残り、人としての思考力を失うかもしれない。醜い姿で。再度死のうとすることも叶わず。

しかし自分にとって苦痛な世界に身を置き続けるなら、思考力を失うことが適応なのかもしれない。ゲームの中で主人公が深海に適応した深海生物に作り変えられたように、無能な私が世界に適応した姿は一切の思考力を失った姿なのかもしれない。周りの人間を不幸に叩き落として。

 

私は、

 

 

私は?自分の気持ちについて考えたところで意味が無い。

こんな価値のない心情を書き出して現実逃避している間にも刻々と事態は悪化している

 

 

僕は防波堤の上に立っている。

海の向こうでは巨大な入道雲をかきながらクジラか飛行船かよくわからないものが水面に影を落とし、そこが長い長い夜になったのでオウムガイ達は水面近くに集まってきたに違いない。

私は何かを待っている。しかし何を待っているのか、いつ来るのかひょっとするとそれはもう随分前に去ってしまい自分は取り残されたのかよくわからなかった。

サイレンが鳴っている、ミサイルが落ちてくると。

しかし今どこにも戦争など存在していないことを僕は知っている。

もう随分前に街は死んだのだ。これは自分が死んだことに気付かない街の幽霊の歌声だった。

ポケットに手を入れたまま防波堤の上を歩きだすと悲しくも嬉しくもないのに涙が出て笑い声が出た。

沈黙していたいのに放送を受信してしまったラジオみたいな気分だった。

「次は蒼いうさぎさんからのお便りです。最近Amazonで綴化種のサボテンを購入したのですが……」

誰かのメッセージは風に散らされていった。

僕は思い出す。

ある日忽然と家から姿を消したピアノのことを。代わりに床に転がっていた見知らぬ何かの黒い部品のことを。作文の為に捏造した架空の幼馴染のこと。別れ際の約束。空調もつけず部屋でふるえていたのにかさばる電気代。潮風で錆びていくベランダの手すり。もうやめてくれ。許して欲しい。

海はよせては返す。

この星に衛星はない。僕がふざけて肩を押したときに、白線からはみ出て、彼の姿の代わりに車が過ぎ去った。そんなつもりじゃなかったのに。衛星は消えた。それでも海は波打ち続けていた。

サイレンの音が大きくなる。

頭が割れそうだ。

もう睡眠薬は口に入らない。

一人目の四天王の部屋でなみのりを使うとシェイミのいる花畑に行けるらしい。

 

10月22日 野生の倫理

学科の友人δと悪童日記について話した。
彼女の履修している授業で悪童日記を読む課題が出たらしい。

生徒が一人一人感想を述べるシーンで、韓国から留学している青年が「これは道徳ではなく倫理についての物語だ」と述べた言葉が印象に残っていると彼女は言った。

まず、日本語ネイティブスピーカーでないらしい彼が倫理と道徳の違いを意識していることに驚かされた。
私は違いを正確には理解していない。
何となく道徳は行動の動機になる心の動きに重きを置いていて、倫理は正しさを定めるための規則やその規則から導かれ新たに明らかになる正しさに重きを置いている、のかなあと思っている。

彼が具体的にどんな事を述べたのか分からないが、このあやふや認識の上で、私は悪童日記を「これは野生の倫理についての物語だ」と言ってみたい。
この小説の主人公となる双子の兄弟は、不条理な戦時下の環境を生き延びていくため、平然と盗みやゆすりを行い、痛みに耐性をつけるためにお互いを殴り、時に平然と殺人をも犯す。
一見彼らは倫理観が欠落しているサイコパスに見えるが、刹那的な衝動に突き動かされて行動しているわけではない。
二人だけの規則で自分たちを厳しく律し忠実に行動している。
子供特有の純粋過ぎる感性をもって、環境を生き抜くために適応した形で独自の「正しい」を形成し、社会の倫理ではなく自分たちの倫理に沿って行動しているのだろう。

以前インターネットでヤノマミ族という南米に暮らす先住民族の慣習について読んだことがある。
その民族内では、生まれたばかりの臍の緒がついたままの赤子は精霊とみなされ、子の母親はその精霊を人間の子供として育てるか精霊として森に返すか選択権を与えられる。
精霊返しをすることになった場合、精霊は葉でくるまれてアリ塚に入れられた後、焼き払われる。
日本では殺人として扱われるであろうが、彼らには彼らの規律があり倫理がある。
口減らしとしての側面はあるだろう。少数人で過酷な自然とともに生きる彼らが習得した正しさがそこにある。

馴染みのない倫理、擬人化して言えば異邦人を見た時のような印象。
その点で私の中で悪童日記の物語とヤノマミ族の慣習には通ずるものを少し感じる。
もちろんその倫理を取り巻く環境もその内容も両者は全く違うのだが。

胸糞悪い小説として紹介されがち(?)なこの小説の不快感も、子供が平然と暴力的な行為をすること自体ではなく、共同体の内側に、普通なら大人の言葉を鵜呑みにして社会倫理に素直である子供が、社会倫理と異なる倫理を形成する存在として現れたことから来るのではないだろうか。

これは道徳心の無い子供の心の物語ではなく、野生の倫理の形成とそれに抵抗を感じる読者の倫理の物語だと、私は思う。

10月21日 psi‐trailing

そっと羽を広げるように朝日が広がる
青い雪景色のなかに柔らかく色彩が舞い降りてきて、小さな眠りを包み込む。
鳥たちに導かれ私はどこか懐かしい知らない場所へ

気を抜くと現実逃避したい心はすぐに気に入っている曲の歌詞に吸い込まれて、教室の風景に存在しない景色を重ね始める。
地に足つかない私にとって、こういったものは浮力になっているのか、生存へつなぎとめる軛となっているのかよく分からなかった。

今日も今日とて死にたい。苦痛だ。

いつかしまい続けた言葉が降り積もっていく。
鐘の音が空を満たすのを待っている。
目覚めとともに去っていった夢の足跡だと思っていたのは、233号室の時計の音だった。
あと十分で授業が終わる。

 


今日の選択

・「愛情、正義、生きがい、自己実現、金、健康、楽しみ、この七つを自分にとって重要な順に並べましょう。」
自己実現、生きがい、楽しみ、健康、金、愛情、正義

・「ラーメン、すし、つばめグリル
すし

・連絡する、連絡しない
今日も連絡できなかった