透明草子

百鬼夜行からはぐれてしまったので、仕方なく人間に擬態している

自殺企図した時のこと

大学2年の秋に、私は数回自.殺企図した。その中で一番死に近付いたと思われるときの事を書こうと思う。

 

自.殺願望自体は幼少期からあった。生活(苦痛)を続けるために苦痛に身をやつさなければならない無意味さは耐え難かったし、望まぬタイミングで交通事故にあったり火事に巻き込まれたり病気に苦しみながら衰弱するよりは、自分で死期と死因を選べる方が良いと思っていた。

そして大学に入学したあたりから自己同一性が拡散していたことや、母との関係性の悪化、睡眠が上手く取れなくなり睡眠不足による肉体的苦痛が続いていた事が、願望を実行に移すきっかけになった。

 

自.殺する方法としては首吊りを選んだ。一番確実に苦痛なく死ねると思ったからだ。

しかし、私の部屋に首吊りの紐をかけるのにちょうどいい梁は無かった。

ドアノブや椅子を使っても出来るかもしれないが、確実に速やかに頸部を圧迫できるようにしておきたかった。そこで、筋トレをする人が懸垂等に使うぶら下がり健康器を買って、そこに紐をかけることにした。紐はアダルドグッズの専門店で緊縛用の縄を買った。人の身体に触れることを前提として作られたものの方が、首を絞める時の苦痛が少なそうだと思ったからだった。

 

準備が整ってからもなかなかすぐには首を吊ることが出来なかった。

死ぬのが怖かった訳では無い。死にきれず、後遺症をおったまま生き長らえる可能性が怖かった。脳に障害が残ったり身体が動かせなくなってしまったら、生き地獄を味わいつつ再度自.殺することも出来ないかもしれない。周りの人が安楽死させてくれるとは思えない。ネットで毎日、自.殺に失敗した人の投稿や脳に後遺症を負ってしまった人の映像を見て、「早く死にたい」と「死にきれなかったらどうしよう、自.殺するのが怖い」と同じことを反芻して考えていた。

 

自.殺企図する機会は不意に訪れた。

大学の物理学実験がある日の前日、ふと「今日死ねば明日物理学実験に行かなくていいんだ」と思った。馬鹿みたいな理由に思われるかもしれないが、その年物理学実験は一限目からあり、夜に一睡も出来ない自分としては、痛みのように眩しい朝日を浴びながら、痴漢も乗車している通勤ラッシュの電車で学校に行くのが本当に苦痛だった。

 

途中で親に見つかって助けられると後遺症生存ルートになるかもしれないので、深夜に親が寝たのを確認してから自.殺することにした。

深夜二時頃、まず御手洗に行った。筋肉が弛緩しても、体液垂れ流しの状態にはなりたくなかった。

次に手首にラヴェンダーの香水を付けた。自己陶酔じみた気持ち悪い行為。ずっと安らかに眠りたい、という祈りのような気持ちだった。

そして紐の一端をハングマンズノットに結び、もう片端じをぶら下がり健康器に結んだ。ぶら下がり健康器の近くに椅子を持ってきて、椅子にのぼり、紐を首にかけた。

死ぬ覚悟は出来ていたが、失敗した時の事を考えると緊張し、冷や汗が吹き出し鼓動が早くなった。

私は改めて自分の頸動脈の位置を確認するために、軽く自分の首を絞めた。気絶してから窒息するのが理想で、そのために頸動脈を紐でしっかり圧迫する必要があると考えたからだ。

日頃の首.絞めのせいで落ち癖がついていたのか、私はそこで眠気のようなものを感じた後気を失った。

 

私は身体全体に電流が流れるような感覚で目を覚ました。目を覚ましても辺りが暗く何も見えず、どういった状況に陥っているのかよく分からなかった。手足が勝手にバタバタと動いているのが分かった。眼球や舌が飛び出るような感覚もした。口から息を吸おうとすると「ひゅ」という声が漏れて首が絞まった。

私はこの時、首を吊って足が床につかない状態だった。

息が苦しくなり、小学校の時の水泳で、クラスの男の子に頭を押さえつけられて息継ぎが出来なくなった時の事を思い出した。

闇雲に手を振り回していた時、手がぶら下がり健康器のぶら下がり棒に当たった。反射的に、私の手は懸垂の要領で自分の身体を持ち上げた。

 

再び目を覚ますと私はぶら下がり健康器の柱にしがみついていた。気を失っていた自覚が全く無かったのだが、記憶が途切れているので一瞬気を失っていたのだと思う。

その時縄は首にキツく巻きついていて、血液が滞っているのか耳元で脈拍のような音が聞こえた。

まずぶら下がり健康器に結んだ紐を解き、それから首の紐を解いた。

自分の頭は死.ぬ気だったが、身体が本能的に助かろうとして行動してしまった。

声を出せるか試そうと思い、「あ」と発声しようとすると細い息だけが出た。

助かってしまった以上、後遺症が気になったがそれよりも疲れていて自分の状態を確認する気力が出ず、私はそのまま眠った。

 

 

翌朝、私は部屋の床に倒れて寝ているところを父に起こされた。

「今日は実験に行く日だろ」と言われて、絶望的な気持ちになった。後頭部が鈍く痛む。眠過ぎて身体がすぐには起きなかったのでカフェイン錠剤を飲んで身体を起こした。

 

とにかく絶望的な気持ちと、首をすぐに吊り直さなかった後悔でいっぱいの状態で、支度をして家を出た。

外に出るといつもよりも朝日が鋭く、眩しさが目の奥の痛みのように感じられた。

 

電車に乗るにあたって、乗り換えミスや乗り過ごしをしてしまったせいで実験に20分ほど遅刻した。元々こうしたミスは多かったが、この日は特に頭が混乱していて日常生活レベルのことを上手く考えられない状態だった。

 

実験の教室に着くと、TAに授業準備としてノートを取ってきたか確認された。自.殺するつもりでいて、当然実験の準備のノートなど取っていなかったので、「ノート書いてません。すみません。」と言うと、「本当にそれでいいの?」と注意された。普通に考えれば授業態度のことを言われているのだが、実験から逃避しようとして自/殺企図したことを見透かされて批難されているような気がして、よくわからない羞恥心が込み上げた。

 

その日の実験中、電流だったか電圧だったかを計測している時、器具の扱いで同じミスを3回した。やはりまだ頭が正常に働いていないのだと痛感し、脳に後遺症を負ってしまったかもしれないと思った。ただでさえ元々頭が悪かったのに、更に悪化したと思うと絶望的で再び自殺企図することを考えていた。

当時はこのように自分の事しか考えていなかったが、この時一緒に実験していて、私のせいで実験が3度もやり直しになったのに怒らず対応してくれた子には本当に感謝している。

その日はずっと頭の中が混乱して考えがまとまらない状態だった。

 

幸いその翌日から、徐々に思考レベルが回復に向かった。

 

そしてその週の土曜日の朝、心療内科から携帯に電話がかかってきた。半月前に予約していた知能テストを今日受けるか?という旨のものだった。

知能テストの予約をしたことをそれまで忘れていたが、自分が脳に後遺症を負っていないか確かめる良い機会だと思いテストを受けることにした。

そしてテストの結果、知能指数に関しては特に問題が無い事が分かった。

しかし知能指数に現れない部分に問題を負ってしまった可能性や、自.殺企図以前の知能指数より下がってしまった可能性はある。

また、自覚がないだけで脳以外の部分に後遺症を負っている可能性もある。

 

今現在、後遺症の可能性に関しては検査などをしておらず放置しているが、なんとか日常生活は送れている。

 

今後、自.殺企図をするかどうかは自分でもよく分からない。容易に人間の身体は死ねない事が分かったので、重い後遺症を持ったまま生存してしまう可能性について以前よりも慎重に考えるようになった。また、幸か不幸かコロナ対策でオンライン化が進んだおかげで以前よりは睡眠時間が確保出来ている。そして母との関係も以前より良好だ。希死念慮自体は依然としてあるが、安易に自.殺企図しようとは思わないだろう。

しかしいつかまた自分に絶望した時に死のうと思うのかもしれない。

ぶら下がり健康器と紐はまだ保管してある。